RIZINフライ級とバンタム級の2階級チャンピオンであり日本人では圧倒的に強いと言われています。
そんな堀口選手の師匠でもあるカリスマ山本キッド選手との出会いを調査しました。
堀口選手は山本キッド選手からも一目を置かれる新人だったようです。
住込みの弟子としで弟子入り
堀口選手は当時、格闘家として一番有名で強かった山本キッド選手のジムクレイジービーに弟子入りすることに決めました。
当時クレイジービーには弟子入りする若者が多数いたそうですが入っても厳しすぎてやめていく人が後を絶たなかったそうです。
山本キッド選手は来るもの拒まずな性格で「弟子にしてください」と頼まれると「いいよ~」ととても軽いノリだったそうです。
堀口はかなりのでぶっちょだった
堀口選手はジムに入った当時はガチムチの体系でかなり大きかったそうです。
堀口選手は伝統派空手出身で当時から他の若者とは頭一つ抜けていたそうです。
恭司は来なくていい
山本キッド選手は相当強い選手でしたが真面目ではありませんでした。
全身タトゥーだらけでお酒も大好きで連日クラブなどで遊んでいたそうです。
ジムの弟子たちはいつも山本キッド選手から「遊び行くぞ~」と練習後は連れていかれたそうですが堀口選手はそういった場所が苦手だったそうであまり行きたくなかったそうです。
ふつうは上下関係が厳しいジムでは先輩の言うことは絶対ですが堀口選手に至っては「恭司はこなくていいよ」と特別扱いだったそうです。
フィジカルが尋常じゃない
堀口選手は一見スピードのファイターのイメージですがパワーが尋常じゃないそうです。
通常58キロくらいの体重ですが80キロもある大男たちと同じくらいのバーベルの重量を持ち上げるそうです。
ちなみに山本キッド選手は58キロ当時120キロのバーベルを持ち上げていたそうです。
筋トレをしている方はこれがどれだけ凄いことかわかるはずです。
KIDは優しく見送る
堀口選手はUFCを目指しておりクレイジービーでは自身の成長に限界を感じていました。
そこでアメリカの一流ジムアメリカントップチームに転籍することを決めます。
山本キッド選手にその意図を伝えると「いいじゃん、俺もいこっかな」「でもジム誰もいなくなっちゃう」と深刻な雰囲気の場を和ませていました。
クレイジービーは経営が厳しかった
堀口選手がアメリカに行ったときはクレイジービーの経営はかなり厳しかったそうです。
クレイジービーは都会にも関わらず土地が広く賃料がとても高いそうです。
確かに思い返してみるとキッド選手はヤフオクでカスタムした高級車のハマーを売却したり趣味の高級車を手放し自転車に乗り換えたりと当時ネットでは金がないんじゃないかと騒がれていました。
まとめ
堀口恭司は直接山本キッドのジムに弟子入りを志願した。
キッドは気軽に堀口を受け入れる。
堀口選手は弟子入り当時はかなり太っていた。
堀口選手は力が当時から凄まじかったそうです。
今後の活躍が楽しみですね。
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