特攻隊の遺書、母や恋人に向けた「最期の言葉」

太平洋戦争は大昔だと感じているそこのあなた!

たった80年前です!たった80年前の出来事なんですよ!

今回は命を懸けて日本を守ってくださった方々の遺書を紹介します。

あなたはどう生きれますか?

会いたい 話したい 無性に

穴澤利夫大尉(23歳)の婚約者へ宛てた遺書の一部です。

チエコ ついに晴れの出撃の日が来ました 書きたいことはうんとあるけれど 感謝の言葉にしかならないよ。
婚約者として散ってゆく男として伝えたことがあります。過去のことにこだわらないでほしい。あなたは過去に生きるのではありません。勇気をもって過去を忘れ 将来に新しく生きる場を見出してほしい。
私はもう存在しないのだから。
いまさら何を言うのかと自分でも考えますが 最後にちょっぴり欲を言ってみたいです。
チエコ 会いたい 話したい 無性に。
今後は明るく朗らかに 自分も負けずに朗らかに笑って征きます

恋人を頼む

神風特攻隊員(25歳)の母親へ宛てた遺書の一部です。

母さんお元気でしょうか。この25年は夢のようでした。母さんの玄人辛抱を最近しみじみと思い返しています。明日に決まった私の名誉ある日を前に ひとつだけお願いがあります。マチコのことです。疎開で石川にいるから こうして母さんに伝言を頼むことを許してください。

マチコ マチコとは短い付き合いだったけど 奥さんにすると心に決めていたんだよ。君の前では無口な男だったからこうして気持ちを伝えることは無かったね。君の故郷に一緒に帰りたかった もっと一緒にいたかった。私は明日異国の海で一足先にいくけれど君の幸せを心から祈っているよ 新しい伴侶を見つけて幸せになってください。

どうか楽しみに見ていて

神風特攻隊員(22歳)の両親へ宛てた遺書の一部です。

父上 母上 長い間お世話になりました。今度 選ばれて いよいよ晴れの戦場へ向かうことになりました。一死もって体当たりにより 日本人として最大の忠節を尽くすことが出来ると思いますと 新たなる感激に血潮の逆流するのを覚えます。父上 母上 私はやります。必ずやってみせます。その時にはどうか「よくやった」と褒めてやってください。兄さん、姉さん 弟はついにご期待に沿う時が参りました。日本人としての誇りのためにもやらなければなりません。どうか楽しみに見ていてください。

まとめ、太平洋戦争はたったの80年前!

まだまだたくさんの遺書があります。

戦争では幼い子供からお年寄りまでたっくさんの人々が亡くなりました。

辛い時代を生きた人々のためにも、日本は平和でなければならないのです!

この令和の時代でも海外では戦争が起こっています。

たくさんの命が、明るい未来が奪われています。

どうか全ての戦争がおわりますように。

世界中に争いのない穏やかな生活が訪れますように。

特攻兵器、桜花の記事はこちら

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